特撮映画のウルトラマン・(* ̄◎ ̄*)

スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

特撮映画のウルトラマン


このあいだ、世田谷区の砧(きぬた)を歩いていると、ウルトラマンの大きな人形が現れて、ギョッとした。
あそこは、東宝に関係のある場所だったのかな。
どういうわけか、こどものころからウルトラマン系統は好きじゃなかったなあ。
なんだか、見ていて恐ろしかったからね。

ウルトラマンといえば、特撮映画の円谷英二さんだ。
円谷英二さんがどういう人だっかか調べてみると、1901年7月に生まれて、1970年1月に亡くなっている。
ずいぶん、むかしの人だったんだね。

『ウルトラマン』は、円谷プロダクションが製作し、
1966年7月17日から1967年4月9日まで、毎週日曜日の午後7時から7時30分まで、全39話が放送された。
ということは、ウルトラマンの放送の4年後に、円谷英二さんは亡くなったんだね。

最初のウルトラマンを特に「初代ウルトラマン」と呼ぶ場合が多い。
『帰ってきたウルトラマン』と区別するためなんだってさ。
ウルトラマンシリーズは複雑だもんな。

そうそう。
円谷英二さんは、戦後はGHQの指令で、映画界から追放された時期もあったんだね。

戦争中には国策映画を撮っていて、『海軍爆撃隊』ではじめてミニチュアの飛行機による爆撃シーンを撮影。
『ハワイ・マレー沖海戦』『加藤隼戦闘隊』『雷撃隊出動』『あの旗を撃て』などの戦意高揚映画で、
特殊な撮影法やミニチュアの使用や合成技術など、特撮技術を駆使した。

1947年のGHQの公職追放によって東宝を追放され、
円谷特殊技術研究所を設立、大映などの映画の特撮部門を請け負うことに。
そして、ようやく1952年になって日本の主権が回復。
円谷英二さんは公職追放が解除され、東宝に戻った。
ということは、GHQの公職追放が円谷プロを誕生させたのかな?
スポンサーサイト
Copyright © 【噂】 All Rights Reserved.
Template Desingned by きゃんたまんの実験室
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。